Madam's lounge

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No.11[1997/09/08版]

こんにちは ダイアナ妃の悲劇を聞いてからというもの、私は涙を止めることもできず、 ただ呆然とTVを眺める日が続きました。お葬式が終わり、やっと 私自身も落ち着いてきましたので、ニューヨークでのダイアナ妃の報道から 今回はお話していきたいと思います。


Diana, Princess of Wales, or People's Princess

ダイアナ妃が亡くなったのは、アメリカ東部時間では8月30日深夜のことでした。 TVのニュースキャスターが、飛び込んできた原稿を見て、 自分自身が信じられないと言いながら、"Princess Diana has died!”と 何回も繰り返し、それ以来というもの全てのケーブルニュース専門局、そして 3大ネットワーク全てがダイアナ報道一色となりました。 特に MSNBC (MicrosoftとNBCとの合弁のニュース専門局)は土曜日の お葬式まで、1週間毎日24時間常にダイアナ報道だけを行いましたので、 私はほとんどMSNBCを見続けました。

ニューヨークのイギリス領事館はイーストサイドのビルの中にありますが、 そこも先週はお悔やみの列が数時間待ちという報道でしたので、私は バッキンガム宮殿の公式ホームページ に直接電子メールでお悔やみのメールを送ることに しました。Time outのメッセージを何回も出しながら、やっと1通送ると Thank youとのメッセージをバッキンガムから頂き、私も少しながら落ち着くことが できました。

NYタイムス は異例の大きさのダイアナ妃の写真で彼女の死を報道しました。 このような有名人の死が一面に載ったTimesの記事は数10年後にアンティークとして 取り引きされることがありますが、私は個人的な思いからこの新聞を保存 するつもりです。

私は直接ダイアナ妃にあったことはなく、繋がりをしいて考えれば、 クリスティーズドレス・オークションの展示をみたことと、 バリ島の高級リゾートホテル Amanusaに滞在した時に、 ダイアナ妃と2人の王子にも給仕したと言うホテルの従業員から "She was beautiful!"と何度も聞かされたこと。。。
そして不思議なもので、1981年ダイアナ妃の結婚式のTV中継を 早朝NYで、高校生だった私は家族と見ていました。 81年は私の最初のNY生活が始まった年、青春時代の始まりでした。 そして16年後、今度は主婦となった私がダイアナ妃のお葬式の中継を またNYエリアで早朝見ることになり、 なんだか私の青春時代も幕が降りたような気がします。
でも、ミーハーかも知れませんが、やはりダイアナの美しさ、 心からチャリティ活動を行う純粋さ、そして夫に裏切られた後 やっと自分の生きる道を見つけた直後の悲劇的な死に私は涙を流さずには いられないのです。

ダイアナ妃はAlthorpの実家で埋葬されましたが、弟のスペンサー伯は一般の 人にも期間を限定して公開することも考えているということですので、私も またいつか、Paris, London, Althorpに行き、ダイアナ妃に別れを告げたいと 思っています。


ウィンザー公オークション;サザビーズ延期発表


さて以前ウィンザー公のパリ邸宅内の持ち物が、 サザビーズで オークションにかけられることをお話しましたよね。 これは9月11日から1週間NYサザビーズで予定されており 8月中旬からはこちらではその宣伝が盛んに行われていました。 高級デパートのBergdorf Goodmanのショーウィンドーに 一部展示されたり、なんとあのTVショッピングチャンネルの QVCに前代未聞、 サザビーズのお偉い方が出演になり カタログの販売と一部品物の紹介をしたりと プロモーション熱は高まる一方でした。 ところが、そんな矢先このウィンザー公の持ち物のオーナーである アル・ファヤット氏の息子がダイアナ妃と事故死という悲しい事態になり 急遽予定されていたこのオークションも来年まで延期となってしまいました。


USオープンテニス

Arthur Ashe Stadium Tiffany製の優勝カップ

ダイアナ妃の事故のあった8月30日は、私は USオープンテニスの観戦のため QueensのLa Guardia空港近くのFlushing Meadows Parkを訪れていました。 この日は野球場でのMetsの試合がない 日でしたので、テニス場の入口すぐ側に駐車することができましたが (野球の試合のある日はテニスの観客は遠く離れた駐車場からバスで移動)、 会場は既に200m以上の長蛇の列でびっくり。でも、それは当日券の人で、 予め電話予約していた私達はすぐにチケットをピックアップすることができました。 私のチケットは$39で今年完成した世界最大のArthur Ashe Stadiumのプロムナード 席のみ指定で、他のテニスコートは全て自由に見物することができます。 さて、その世界最大のテニススタジアムで私の指定席Row Zを探すと、なんと 一番上。つまり私は世界で一番遠くからテニスを見た人となったのです。。。
一番上には一番上なりの良さがあります。まず、マンハッタンの景色が良く見え、 風もさわやかで、まわりに座っている人が少ない(指定席とは言え、 あまりの遠さに驚いて他のスタジアムに移動した人が多い) のでゆったりと試合が見れます。とは言っても、ヒンギスも サンプラスも蟻のよう。ボールの音もよく聞こえません。 世界ランキング1位の二人の試合もそこそこに私達も他のスタジアムに 移ったのでした。

最上階からの風景。サンプラスはどこ。。。

ちなみにこのスタジアムにはsuite roomが数多く設置されています。この スィートにはキッチン、シャワールームが着き、冷房の聞いた部屋で ソファーでTV観戦することも、ベランダでワインを飲みながら直接観戦 することもできます。でも、お値段は$80,000!もちろん、トーナメント期間中出入り 自由で、10人程度が同時に観戦できることを考えると接待用には最適とのことで、 不動産王トランプさんも予約されたようです。

さて、去年までのスタジアムは今年からStadium2、Stadium3と名前を変更され、 多くの席が自由席となりました。こちらのスタジアムで見たサンチェスや ヒンギスの試合はアッシュスタジアムよりもはるかに近く、生々しく、 やっとテニスの試合を見たという気になれたのでした。

サーブをするヒンギスとサンチェスのペア

今回は、どうしてもヒンギスとサンプラスが見たくてスタジアムで試合を見ましたが、 トーナメントの前半では、多くの選手がスタジアム周辺のコートで試合を 行っており、そこなら$22のGround Ticketでもコートのすぐ横で試合を 見物できます。私は去年の観戦では、ハンサムな選手と試合中に目が合ってしまい 一瞬ドキッとしたこともありました。


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